あなたには、自分との約束はありますか?
どんなことでも構いません
わたしにも、自分としている約束があります
- 常に、自分はどう在りたいのかを問う
- 人を大切にしない人の元は去る、近づかない
- 悩んだら健康と天秤にかける
- 「頑張る」という言葉を使わないとできないことは、一切しない
というものです
今はどんなことがあっても、この4つの約束を破らないようにしています
これは自分の生きづらさに気付いてから、自分と向き合ってきた長い時間のなかで、たくさんの失敗を繰り返しながら、最終的に私の軸となったものです
自分との約束がないと、周囲に振り回されボロボロになる
自分の生きづらさに気付き、変わろう!と本気で決意をする前、わたしには自分との約束なんてものはありませんでした
周りの大人から教わった人生訓みたいなものもありませんでしたし、自分との約束なんて言葉も知りませんでした
ちまたでは、自然に自分との約束を持っている人もいます
例えば、おばぁちゃんから「自分の気持ちを大事にするんだよ」と小さな頃から教わってきたから、迷ったら今でも大切にしている...とか
約束なんてたいそれた表現でなくても
- この人ブレないな
- 芯があるな
- 素敵だな
と何だか魅力的に感じる人の心には、その人を守ってくれるものがあるはずです
自分との約束がない頃は
その場その場で求められる人格になって役割を果たしたり
自分の気持ちを抑え込んで、どんな環境にも状況にも適応をしたりすること
が当たり前だと思っていました
むしろ、それが得意で
わたしは当時、自分のことを
環境によって何色にも染まれる
カメレオン
だと思っていたんです
「大変でしょ?」とか
「わたしにはできないな~」とか
声をかけてもらうと、みんなが出来ないことが、できてしまうわたしはすごいんだ!
なんて、体も心もボロボロになりながら喜んでいたんです
でも、違ったんです
単にわたしには
✖ここから先は、わたしはやりたくありません
✖ここから先は、わたしには無理です
✖わたしでいるために、この境界線は超えません
という
自分のライン
=自分を守るための境界線
が、何もなかっただけでした
だから、あらゆるものに振り回されボロボロになって生きていたんです
自分との約束は、あなたを守る最強の自分軸
ある時、同僚の友人と仕事帰りにご飯に行きました
わたしが上司から、荷が重い仕事を任された日でした (今なら、引き受けたと言うでしょう)
正直その仕事を受けるのはイヤだったのですが
せっかく任せてくれたし
勉強にもなるだろうし
期待にも答えたいし...
と、思考で感情をねじ伏せて承諾したのでした
でも、感情としてはイヤという気持ちが根底にあるので、ご飯を食べながら愚痴がどんどん溢れてきてしまいました
すると、聞いてくれていた友人から
「そんなに嫌なら、断ればいいじゃん。
なんでその仕事受けたの?
嫌々やられても相手も嫌なんじゃん?
ちなみに、私はその仕事やりたくなかったから断ったよ
今回の仕事は、たぶんわたしより適任がいると思ったし
さとこは優しいから断れないか~
まぁさとこが本当に嫌なら、べつに他にやりたいっていう人がいると思うけどね」
と言われました...
グ、グサリ...ときましたが、同時に
え!嫌だから断るってありなの!?
という衝撃が走りました
そんなのって甘えじゃないの?
わがままなんじゃないの?
許されるの?
ってかそうやって断る人がいるから、こうやって回ってきちゃったのに自分勝手だな
いや、でもわたしも別に断ればいいのか?
そうか、他にやりたいって思う人がいるかもしれないんだ...!
と、思い込みで出来上がっていたわたしの価値観をひっくり返してくれたのです
友人はわたしとは真逆の性格で、職場でも真逆コンビと呼ばれていました
わたしは、みなさまの想像するイメージ通りかと思います...
友人は少し口調もきつい時もあるし、正論言いすぎな時もあるけれど、
ピリつくことも恐れず自分の意見を言うのが当たり前の感覚で生きていて、
とてもかっこいいな、と入職時から私にとって憧れの存在でした
その時、わたしは気付きました
あぁ、
この人は自分のラインを持っているんだ
わたしにはこのラインがないから、よくも悪くもすべてをそのまま受け入れてしまって、ズタボロなんだ
それは優しいとかじゃなくて、究極なことを言えば自分がないってことなんだ...と気づきました
この自分のラインこそ、自分軸の本質なんだろうな、とわたしは思います
自分との約束は、どんな状況下でも、どんな環境下でも、あなたがあなたでいるための軸になってくれます
そして、あなたをあらゆるものから守ってくれます
今、あなたがしている自分との約束は、あなたが困ったときに守ってくれそうですか?